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Logos 今月の言葉

201912

 北海道基督教会館建設という事業が実施された時代的背景を考えてみます。

1945年(昭和20年)、戦争が終結して、占領軍が(当時は「進駐軍」といいました)日本各地に駐屯地を作りました。札幌も真駒内に米軍の施設が作られます。そこここに、若い米軍GIが友人たちと歩いていましたしジープで走り回っていました。

 会館北側には道路一本挟んで北海道大学が戦後の発展期、とくに教育改革が動き出し始めています。学生たちの中には英語を新たに本格的に学びたいというひと、左翼思想に加担して新たな希望を抱くもの、若い教師たちの中には、米国への留学の情報をほしい方がたもいます。

戦後復興の中でたくさんの人々が教会に集うようになりました。占領軍の司令官マックアーサーはキリスト教の活動を背後で支援していました。また教育改革、政治改革が動き始めていました。米国から、宣教師たちが来て、その働きをはじめます。札幌もまたその対象になりました。キリスト教の学校は米国からの様々な支援の拠点となりました。

日本のキリスト教団体とそれを支援する米国の宣教師団は新たな組織を作って日本におけるキリスト教活動を協力するようになりました(CoC内外協力会)。

極東アジアは、すでに冷戦といわれる思想の、そして政治的社会的せめぎあいがはじめられています。日本の戦後は、共産主義青年団、婦人活動(当時)、学生運動、労働運動、等がさかんになりはしめました。そして昭和25年(1950年)朝鮮動乱が始められました。

日本はそのような東西の国際的政治的社会的な緊張の中に置かれていました。

札幌の諸教会を支援する宣教師たち、またチャップマン宣教師のように独自に会館を建設する働きがありました。

キリスト教活動を独自にしようとする当会館は、しかしなかなか地域教会との関係をつくりだすことはできません。試行錯誤、講演会など企画・実施し始めた矢先、チャプマン宣教師が東京に去ることになりました。

会館は、1年間館長不在のまま後任をさがします。内外協力会の宣教師派遣の担当が、ロバート・バーカー宣教師を後任として派遣することとしました。

バーカー宣教師は29歳、結婚をされて、北海道旅行をしたばかりでした。しかも北海道、札幌には土地勘もなし、知人のなしというところへ赴任しました。

若い宣教師夫妻が赴任した、ということでしたが就任式をしたこともなければ教区総会での紹介でおわりました。

そして離脱したばかりの日本基督教会の若手がバーカーさんに、当会館建設にあたって日本基督教会の協力があったことを語りに来訪しました。バーカーさんは過去のいきさつは一切知りませんでした。当惑し、不愉快でもあったと後に当時の思い出を語りました。

バーカーさん夫妻は、老朽化した宣教師館に居住し、その修理営繕にかかり、同時に新たな基督教会館の運営にあたりました。

まもなく英会話教室とコーラスグループと指導を始めました。宣教師たちに協力をもとめました。

                                             雨貝行麿