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Logos 今月の言葉

201911
11月は、北海道クリスチャンセンターの創立記念日です。
この記念日は、長い間忘れられていました。2008年新聞の記事によって確認しました。
なぜ創立記念日が忘れらえていたか、この間の事情をすこし書きましょう。
 
この土地は、戦前北米長老派教会宣教師団が購入して、宣教師館を建てました。長老派宣教師の男子が北星学園の宣教師として働いていた時これを使用していました。その後ゴードン・チャップマン宣教師が派遣されると、かれは主として教会に奉仕しました。戦前、北海道には日本基督教会の諸教会がありましたので札幌近郊から旭川周辺などの諸教会の伝道で活躍していました。日本基督教団が結成されるとかれは長老派だけではなく、その他の教会にも交流を持ちました。しかし実際は、日本基督教会の小さな教会伝道所を助けていました。
 
日米戦争になり宣教師たちは帰国しました。この宣教師館は、日本の軍人が使用していました。手入れが十分ではなくだいぶ荒れてしまいました。
 
戦争が終わると、2年ほどしてチャップマン宣教師が戻ってきました。今度は日本基督教団の協力宣教師としてです。教団になったとき、札幌では、札幌教会、札幌北光教会、北一条教会でした。チャップマン宣教師は、教区総会の一員としてたとえば聖餐式を担当するなど協力していました。同時に、桑園教会など日本基督教会系の諸教会に協力していましたし、同時に戦後の再建期でしたから北一条教会の小野村林蔵牧師、小樽シオン教会近藤治義牧師などと研究会をもっていました。実際、プリンストン大学(長老派)の教授の書籍の読書会などしていました。ご本人も長老派出身ですので近しい交わりを持っていたのです。
 
まもなくチャプマン宣教師は、戦後の日本の再建に対してキリスト教の役割をになおうとして、寄付を集めました。北米の諸教会は言うに及ばず、札幌に駐留しているアメリカ兵GIたちにも呼びかけました。
 
当時で4億円。新たに「北海道基督教会館」です。13階だて。その理念は概して「キリスト教宣教活動をする。宣教、信徒の教育、交流、奉仕活動です。信徒教育から神学教育をめざし、神学校の設立の夢をいだきました。
 
しかし、新たな活動が始まります。旧日本基督教会系の教会が、日本キリスト教団を「離脱」することになりました。
 
当時の北海教区の3役、札幌教会(メソジスト系)札幌北光教会(会衆派系)そして小樽公園通り(会衆派系)の牧師たちは困惑しました。実際信徒数は半減します。チャプマン宣教師の立ち位置は、教団に在りながら、同時に日本基督教会系の教会を応援することはやめない。
 
チャプマン宣教師が休暇で帰国後、北海教区にもどるということを当時の北海教区3役はこれを忌避しました。苦渋の決断でしょう。
 
チャップマン宣教師は活動の場を東京に置くことになりました。設立された「北海道基督教会館」の主は不在になります。(201月に続きます)             雨貝行麿