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Logos 今月の言葉

20193
  北海道クリスチャンセンター聖歌隊の近況をおしらせします。
1.初めは前史です。 この聖歌隊は、札幌では、戦後の日本基督教団の諸教会・伝道所の歩みの中ではユニークともいえる働きをしてきました。 戦後宣教師が北海道に戻ってきました。ゴードン・チャプマンです。彼は戦前にすでに北海道各地にできていたキリスト教会、じつ「日本基督教会」の諸教会に協力していました。ときには教会の代表者にもなっていました。戦争中はカリフォルニアにできた日系人強制収容所で日系人を手助けしていました。戦争終結後再び宣教師となって来道、宣教師館を立て直し、募金し宣教師館を拡大強化して一部3階の「北海道基督教会館」を立てました。在道の多くの方々が協力しました。
戦前、信仰を守っていた牧師、小野村林蔵さん、近藤治義さんたちがチャプマンさんに協力していました。戦後再び親交が復活、牧師たちは、チャプマン宣教師が学識者でしたので集まっては伝道のヴィジョンを語り合いました。北大の学生たちの中にも神学をまなぶ人たちも出てきました。

チャプマン宣教師が休暇で帰国したのち、在日宣教師団は館長としてロバート・バーカーさんを宣教師として派遣しました。

バーカーさんは当時東京、明治学院で英語の教鞭をとっていました。J3といってアメリカの青年たちで日本での活動を3年間続ける働きをする人たちがいましたがバーカーさんはその一人でした。戦争中は兵役に従事戦争が終わるとプリンストンで学びましたがその途中で来日しました。神戸で日本語を学び、清子さんと結婚されました。
北海道基督教会館の館長宣教師として来道し、宣教師としての活動の手がかりを探りました。 1は英語教育でした。英会話です。
2は青年たちの憩いの場です。バーカーさんは青年たちの合唱を指導することにしました。ピアノはできませんでしたが合唱指導を熱心にされました。教会の青年たちも集まりました。館長宣教師が指導するので、基督教会館の働きとして「英会話」と「合唱」がなされていきました。まもなく英会話には数人の宣教師たちが協力しましたが、合唱はもっぱらバーカーさんが指導されていました。
1955年日本基督教団が新しい「讃美歌」を出版しました。合唱団は、この讃美歌を歌うことにしました。彼は「訓練」を心掛けるより「楽しく歌う」ことを主眼としました。
当時は道内諸教会ではまだ讃美歌を歌うグループ、聖歌隊はできていませんでしたので道内各地の教会で「伝道集会」などがあると依頼されて出かけていきました。
その間「北海道クリスチャンセンター聖歌隊」としていましたがセンターでの礼拝に奉仕する団体、「聖歌隊」ではなく、合唱団で、通称は「クワイア」でした。バーカーさんがそういいならわしていたからです。クワイアといえば日本語では「聖歌隊」とも「合唱団」ともなります。                                      雨貝行麿