本文へスキップ

電話でのご予約・お問い合わせはTEL.011-736-3388

Logos 今月の言葉

2019年2月
札幌の「信教の自由」を守る、という集会で「メノナイト世界会議代議員」とする片野淳彦氏の講演がありました。副題に「再洗礼派の経験から」としていました。
北海道には、とくに道東地区に戦後「メノナイト」の宣教師の方がたが数名活動をしておられました。その働きが、札幌地区にはこの信仰をもつグループが礼拝を守っています。なかでも長い間、札幌で「平和の活動」を続けながら、北星学園大学で教鞭をとられた方矢口以文先生という方がおられ、私自身もお世話になりました。実はすでに今年の春のセンター講座に5月28日(火)14時からお話をいただく手はずになっています。
さて「メノナイト」とは17世紀に特に著しい働きをしましたが、当時ヨーロッパはルターの宗教改革後、全般的に社会が新たな組み換えを始めた時期です。「キリスト教」という宗教は今日「個人的、主体的」な性格を持つと受け止められています。
しかしかならずしもそうではありません。実際、ルターの宗教改革といわれる後に、キリスト教会では依然として「バプテスマ」は嬰児の段階で、生後1週間以内に司祭によって親の立ち合いでなされていました。
しかし、そう考えない人々が声を上げました。「バプテスマ」は、受ける本人が、それを信仰者としての深い自覚において決意することによるべきだ、という考えで、それを実行しはじめたのです。
すると従来の司祭のなかに、一度嬰児の段階で「バプテスマ」を受けている人に「再度」洗礼を受けることになる。すると「一回」で神による「バプテスマ」の行いは「十分」で「完ぺき」だとする考え方が否定されてしまうことになります。そこで、この行為は神の恵みの行為を理解しないで、むなしくするものだという考えとして批判されてしましました。当時は、カトリック教会とルター派教会がせめぎあいの闘争をしていた時代に、新しい主張を始めたグループになりました。彼らは「再洗礼派」と呼ばれるようになり、カトリックでもなく、はたまた「ルター派」とも異なることで双方から批判された少数派でした。
少数派は弾圧されました。そこでカトリックからもルター派からも勢力が希薄で、やや開放的なドイツ地方の西方の街、ミュンスターに避難し始めました。かれらはそこでの自治都市を形成したのです。急速に弾圧、迫害された人びとが蝟集しはじめました。迫害と困窮のなかで苦しんだ人々が出口を求めましたが、それは社会の情動とは反する行いが発生し、それが増幅されてつたわり、さらに増幅が重なりました。社会的異常事態が放置されていきました。のちに「ミュンスターの争乱」と言われる事態です。カトリックとルター派がこれをせん滅しました。その指導者たち4名を処刑して、鉄の檻の中において教会堂の塔に吊り下げました。いまもこの歴史を記録すべく吊り下げられています。
この反省を踏まえて、メンノー・シモンズという指導者が、再洗礼派の信仰の、それのふさわしい在り方を指導しました。平和と聖霊の力を大切にする再出発がなされました。雨貝行麿