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Logos 今月の言葉

201811

北星学園にかつて幼稚園教諭養成と保母養成のための学校がありました。その卒業生たちが数人語らって旅行と学びの会を企画して、わたしに話をするように依頼してきました。 さてその卒業生たちが旭川にある三浦綾子文学記念館を訪問して、その後久々の心置きなく語り明かしたいということでした。

さて、戦後まもなくキリスト教会が幼稚園を併設し始めましたが、その教師たちに「教諭」の資格をもたせるために設立された学校でした。従ってかれらは昼間は幼稚園で働き、夜に通学して資格を獲得することでした。

キリスト教の幼稚園ですから、子どもたちに聖書のお話をすることも求められていましたからキリスト教の北星学園に設立されることが求められたのです。

札幌市内のプロテスタントの幼稚園のみならずカトリックの幼稚園からも有資格者を養成することを始めました。その場合、地方のカトリックの場合,わたしはカトリックの見識とその方策に気づかされました。

カトリックは、まさしく「いつ、どこでも、だれでも」です。普遍性(「カトリック」とはそのような意味です)。ですからカトリック司祭同士が、青年を地方から札幌に学びに送り出して、同時の住まいと幼稚園を紹介するのです。2年の養成が終わると、有資格者として従前の職場に戻す、という方策をとっていました。人材を有機的に育成して、宣教活動の一端に用いるという戦略でした。このような方策を地方と中央の司祭たちが連携していたことでした。

さて、やがて実質的に教師たちに資格を与えることが終わるにつれて門戸を開放して夜勉強して幼稚園の先生になろうとする青年たちの学校になっていきました。

日本は、戦後の復興には、まだまだ経済的には困難でした。そんな時代に北星学園では昼間仕事をしながら、将来は幼稚園の先生になると心に決めた、とても意欲的な青年たちが眠い目を見開きながら学んでいました。

彼らは卒業していきました。多くは、幼稚園、保育園そして社会福祉施設でした。日本がようやくそのような教育機関や社会福祉施設を充実して将来の社会人を育てようとし始めた時代でした。その意味で彼らは先駆者でしたし、また社会進出に乗り出し始めた女性たちの先駆者でもありました。
そしてかれらも引退しはじめました。しかしかれらはまた独自の活躍の場面を作り出し始めました。それだけまだまだ日本の教育、社会福祉の領域は充実していない、働き場所があちこちに見受けられるのです。ひと仕事を終えたらまた社会福祉活動の隙間のようなところに現役の時代に気づいていたのでしょう。いろいろは働きをいまもなおしているのです。

そのかれらが、同窓会の際に語らっていました。「こんど一泊してつもり話をしましょうよ。」それをプロモートする人、応援する人、その企画性は学生時代かその後の活動の中で身に着けたようです。「雨貝先生と三浦綾子文学記念館を訪ねる旅」と称して11月その記念館を訪ねました。記念館にある見本林(「氷点」に出てきます)とそこに新たに三浦綾子氏の執筆した部屋が設営されていました。そこで改めて三浦綾子の作品を想起しました。皆よく読んでいましたし資料がよくわかるようでした。

近くのホテルに宿泊して夜、リンゴをかじりながら文学「氷点」を改めて味わいました。みな依然として学ぶことにどん欲でした。わたしの話に耳を傾けている人、じっと見ている人、話の途中で質問するひと、学生時代と個性は今も輝いていました。頼もしい人々が育ったのです。雨貝行麿