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Logos 今月の言葉


2017年9 月 

  マルチン・ルターの95か条提題は1031日と言われます。
ことしはこれを記念する「宗教改革500年祭」です。すでに10年ほど前からドイツではこの行事にむけて始動していました。とくにルターに関わる事跡は、かつてはいわゆる「東ドイツ」の領域でしたから1947年以来キリスト教は社会主義統一党のもとで監視・弾圧されてきました。そこでキリスト教に関わる事跡、教会堂、記念館、博物館等は戦争後の修復、再建はなされてきませんでした。その政策のもとでそれらは放置されていました。荒れるにまかされていた建築物はしかしところによっては人々によって密かに保護の手立てが講じられていたところもありますが基本的には放置されていました。そこでドイツ再統一後、東側の民政に直接かかわることに手が付けられ、その後キリスト教関係のことどもに復興に着手されたのです。文化形成の根幹にあることですから。およそ10年がかり、ルター関係の修復が実施されて、今年を迎えました。わたしは795か条提題がなされた、ウイッテンベルク、いまで「ルターの街ウイッテンベルク」と呼称される街に出かけました。
 かつては人口2000人、今までは5万人(その周辺を含めて)キリスト教徒はおよそ2000人の街です。エルベ河にそって細長い街、2本の大通りに挟まれた、直線距離では歩いて20分で通り過ぎるようなところですが、東側にはルターとその家族が生活した家が修復され博物館になって当時の分厚い聖書がたくさん展示され、また彼らの生活、とくに夫人カタリーナ・フォン・ボラの家政ぶりが分かるようになっています。堅実、質素そのままの様子です。ルターの家族生活は彼女に働きによって支えられたことを示しています。 大通りに面して11月初めまで教会の開設したブースが2か所ありました。 ひとつは世界からルターの事跡をもとめて訪問する人たちが、ドイツのキリスト教に触れる、一服して語り合う機会とするところで、飲み物が無料でふるまわれていました。ひとつは改革派の背景を持っているところです。ドイツ各地の改革派の活動が紹介されています。とくに人口増加によって地域社会ができると新しい時代の装いで会堂が建設されています。もうひとはルター派の教会関係で、初期のシリヤ語聖書、ルターの書き込みのある聖書、そして小型の印刷機が活動していました。やはり過去にさかのぼっての事跡の紹介です。かつてはラテン語学校であった建物では神聖ローマ帝国時代のルター派の活動の紹介がなされていました。オルガンの音が聞こえる方へ行きますとルター派の瀟洒なチャペルになっていて青年が礼拝の準備として練習をしておられ、目があうとにっこりしていました。 あちこちのお店ではルター・グッツも取り扱われています。 街の西はずれに城教会の塔がそびえ、そこには「神はわがやぐら」と金文字で浮き立たせています。その出入り口の一つお扉、いまここはブロンズ製に作り替えられ95カ条提題が扉一面に刻印されています。 さて内部はすっかり修復されていました。
たくさんの人々が椅子にすわり、案内の方が縷々ルターの事跡を語っていました。長い時間です。学ぶことによって理解する。理解することによって継承される、をそのまま守っています。通路には訪問客(観光も含めて)が行き来していますが、動ずることもなく、講義に耳を傾けています。ドイツらしい光景です。壁にはルターの盟友たちの立像が描かれています。ルターの事跡はルターだけではないことを知らせています。そして前方には右の床にルターの墓石、左にメランヒトンのそれが安置されています。かれらは顕彰に値するとして市教会ではない、領主の礼拝堂に置かれたのです。

                                    雨貝行麿