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Logos 今月の言葉


2016年 10月 館長からのメッセージ
  

 

 ことしは北海教区に、奥羽と東北教区の方々、とくに社会委員会の方々がみえ当クリスチャンセンターで宿泊をして、多彩なプログラムを進め、交歓、協議をふかめておられました。  わたしは歓迎の意味でご挨拶をし、礼拝に参加しました。すると翌日は札幌近郊の自衛隊の基地を見学するという小さな「ツアー」に誘われました。
 センターの外に、マイクロバスが待っていました。北海道の秋、日射しはめぐまれましたが風はすこし寒く感じらえました。それでも奥羽、東北教区の方々はお元気で、大人ですからバスでもはしゃぐことはありませんでした。牧師さんたちでしたが、写真機はいまはやりの「スマホ」や、いろいろな機器をお持ちでした。
 初めは、真駒内の北部方面総監部と自衛隊病院でした。大都会の、こんな近くに自衛隊の基地があり、自衛隊の若い隊員たちが、大型自動車の牽引訓練などすこしゆっくりとしていました。なかなかたくさんの車両をそろえている様子でした。車両は濃い緑色で統一されて着色されていますのであまり目立つものではありません。しかし車両だけではなくそれらの付属品が多数とりそろえられています。規格は米軍と同じだそうです。
 真駒内から真栄(地名)に丘伝いにまわりますと射撃場があります。めだたないところでしたが、標的がならんでいますから、時には訓練が行われているに相違ありません。
 秋の日をあびて、樹々が色づき始めた丘の沢づたいに道路がつくられて自衛隊の大型車両が森の中から立ち現れます。今も、何もしていないのではなくて訓練しているのです。ヘルメットのしたは若い横顔です。
 そこから恵庭の自衛隊訓練場に向かいました。なだらかな丘陵地帯です。みたところは田園地帯です。牧草地や畑です。北海道の土地は、ほんとうに豊かな地味で、農作物をうみだすところであることがわかります。ここ一帯はかって野崎牧場のあったところです。「野崎牧場?」。かつて「自衛隊違憲訴訟」の当事者の方ですが、かれは先日その記念会をセンターで行われていましたが、今も、当時砲弾の発射地点と到達地点をむすぶ連絡電線、数センチを切断したものを手にしていました。語り続けたい事犯です。
 さて千歳には戦車の基地がありました。数十台が幌をかぶせておいてありましたが、その奥へとたどりますと戦車1両が方向転換をしていました。重量は50トンだそうで、回転するだけで大きな砂埃をあげていました。戦車の訓練のための道路はすべて頑丈なコンクリートの舗装です。1台でもその重量感はなかなかなものです。
 千歳といえば航空基地ですね。民間航空機の西側でしょうか、滑走路が伸びていますが民間とちがって地上に標識灯は設置されていません。戦闘機のためのものですからね。さてそこで戦闘機の発着訓練が行われていました。戦闘機は轟音をたてます。100mほどの距離で離陸しますから爆音です。先導する飛行機に続いて6機、50秒ほどで離陸します。
 この訓練の時を知っていてマニアが写真撮影していました。同道していた三沢基地の近くの牧師は、米軍はこの規模をはるかに超えている、と語ってくれました。
 札幌の周辺も、実に広大な基地でかこまれていることがわかりました。

 
                                     雨貝行麿

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