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Logos 今月の言葉


2016年 7月 館長からのメッセージ
  

(前月からのつづき)


 帰路、共に伺った総務担当の方が,「雨貝さん、いい方でよかったですね。」と言ってくれました。
 学園の修養会では、同世代の方々に、なによりも教職員にとって、人間として大切なことがある、と語りだされました。これからの教育の希望はここにある。そして希望は、どんな苦境にであっても絶望しない力を感知すること、これが私の心に残ったことです。

 昨夜、藤井牧師からこころに刻印された、尊い信仰の喜びを語られた方々がおられました。その青年時代に、藤井牧師に出会い、交わり、イエス・キリストの福音をこころにおさめた方々が、いまあちこちでいのちのことばを保って、いぶし銀のように輝いている。
 藤井牧師のご生涯は、だから豊潤でした。
 福音宣教者は、褒められても、そしられても神のしもべ。
 ひとをまどわしているようで しかし真実。ひとにしられていないようで認められ、
 死にかかっているようで、生きており。悲しんでいるようで、喜んでいる。無一文のようで、すべてを持っている。
 藤井牧師は、福音宣教者としては、その働きは必要かつ十分でした。
 さてアペンデックス、付録です。
 数年前、わたしはある雑誌を手にしました。藤井創という筆者の論文、アメリカの今日の宗教的状況を論述したものでした。所属をみましたら、名古屋のキリスト教学園でした。わたしは「もったいない」と感じました。
 まもなく、その藤井創氏が北海教区総会で新しく教区に参加した方とご紹介されました。
 かれは開口一番「わたしは藤井弘と関係がありません。」何人かの笑い声があがりました。
 世間ではこれは「ほざく」といいます。今日ここにおられるご夫人、かれのご母堂にとっては「ばかもの」です。教区ではかれ一流の「諧謔ユーモア」とうけとめました。
 その後牧師会で礼拝の説教を担当されました。短いなかで示唆に富む豊かな内容でした。
 わたしは、感想と期待を添えてはがきをかきました。この教区に長くいて下さい。僭越でした。
 昨晩の祈祷会の際、その司会をした創牧師が弘牧師をこころの底から最も愛し、そして尊敬していることを目にしました。かれもまた福音宣教者のひとりとして弘牧師の後継者です。いえ弘牧師は、あらたな福音宣教者として一人を立てています。藤井弘牧師の福音宣教者としての生涯は、必要かつ十分、しかし余りある豊潤さであることを証しています。
 昨晩、ご遺族の方、妹さんが「おにいちゃん、立派!」と言われました。
 藤井弘牧師は、言われます、「世話になった。もう私のことは心配しないでよい。わたしは愛した。愛しきれないで突き放したおともある、その罪をゆるしてくれ。そして前を向いて一層すこやかに生きよ。」そういわれています。「幸いなるかな、福音を告げる足は。」

 
                                     雨貝行麿

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