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Logos 今月の言葉


2013年 1月 館長からのメッセージ  

忘れられていたような本、ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』として翻訳されていた本が売れ出しました。未曾有の大震災以来 フランクルがいわゆる「強制収容所」での経験を書き綴ったことになにかを求めることがあるからなのですね。

 『夜と霧』と訳されていますが、それは著者フランクル自身が、ナチスの支配していたドイツの「収容所」で心理学者としてみてきたことを平易にかたった講義録です。彼は戦争が終わってウイーンにもどると母も(父は収容所でまもなく死亡したのです)そして結婚まもなかった妻も死亡していたことを知りました。収容所での経験もさることながら、解放されてもどってきて、すべてを失っていたことを知らされたときの衝撃と悲嘆は比べることのない出来事でしたでしょう。しかし彼は、その時を克服すべく市民向けの講演で自分の経験を語りだしたのです。

 この講演で語りたかったことは、過酷な状況を負わせたことへの怨嗟、そして告発ではないのです。そうではなくて苛酷な状況のなかで生きた人間を心理学者として観察した成果を語るのです。端的に、人間としての尊厳を語りだすのです。

収容所で生きていたものたちはだれもが過酷な毎日、時々刻々でした。そして栄養不良の中で一日の労働を終えて、今日も生きた、そしえてようやくありついた食事、配給とは名ばかりの食べ物、パンとスープはほんのわずかばかりでした。しかし、そのパンの一かけを倒れかけていた人に分け与える人がいた、というのです。過酷な状況の続く中でも人間としてとるべき行動、態度があり、それを実行した人がある、と語ったのです。ナチスのおこなった残虐・非道がありますが、フランクルの視線はその残虐・非道のなかで人間としての尊厳を示した人に向けられています。

 彼の主眼点は、ナチスを告発することではなくて、心理学者として、まさしく人間の魂のあり方を見のがさなった点にあります。

 さらに、過酷な状況のなかで生きにこることができたのは、頑強な身体の持ち主ではなかったというのです。ではどんな人が生きのこったか。苛酷な環境に対して影響を受けない、自由さをもつ人間がいきのこったのです。身体が頑強であることが条件ではなくて繊細で決して希望を手放さなかった人だ、このことをしっかりと伝えたいといいました。

 ブーヘンヴァルトの収容所でつくられたという『それでも私は人生にイエスという』という歌、「私たちの運命がどんなものであろうとも、私たちは人生にイエスと言おう。なぜなら私たちには自由になる日が来るから。」という言葉から彼は「それでも人生にイエスという。」という与えられた人生そのものを絶対的な価値をもつこととして、しっかりと受けとめようとする究極的ともいえる態度のことを語ったのです。

 彼の友人たちは、彼は、帰国後愛する者たちをすべて失って滂沱として涙をながすことがありましたが、他方同時期に市民に対する講演では、じつにユーモアに満ちた譬えと語り口を絶やさなかったといわれています。人生を「イエス」と肯定する者は、苛酷な状況のただなかでも、未来へ誘う扉が開き始めることを見ることができるのでしょう。

 災害のあと信じてほしい。「門をたたけ、開けてくださる方がそこにおられる。」
                                      雨貝行麿
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