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Logos 今月の言葉

2012年 6月 館長からのメッセージ  

今回の「平和ツアー」でポーランドの古都クラコフを訪ねます。
 クラコフはかっての繁栄したポーランド王国の首都でした。第二次大戦では破壊されませんでしたから旧市街は中世の街並みがそのままなのです。中世の街は城塞です。その面影は街の中央通り「フロリアンスカ通り」に入る門の外側に1400年代に築かれた「バルバカン」という赤レンガ造りの高い二重の城塞に残ります。そのレンガ造りの門の先にフフロリアンスカ通りに入る門がまたあり、そこにはニッチ(壁龕へきがん、壁の内側のくぼみ)にマリア像が安置されていて毎早朝ろうそくが修道女によって新たに灯されます。この街の一日の営みへの祝福なのです。
 さらにフロリアンスカ通りを歩きますとまもなく街の中心にでます。左手に聖マリア聖堂そして視界にはいるのはヨーロッパ一広い広場で、そこによこ100メートルはある二階建ルネサンス様式の織物会館、現在はショッピングセンターと二階は国立博物館です。センターでの民芸品はあかるい色彩で近郊農家の営みを感じさせます。
 聖マリア聖堂は1222年献堂です。以来木彫の祭壇もステインドグラスもそのままです。堂内でおおくの人々がひざまづいています。若い世代のひとがジーンズをはいた長い脚をかがめて十字をきるさまを見て、ここの信仰は現役だと感銘します。
 『戦場のピアニスト』という映画がありました。戦争がはじまり避難しようと家族が集まります。するとひとり一人が口々に別々の避難の場所を「言い争う」場面があります。火急の時ですのにまとまらない。ポーランド人の気質を描いています。かってポーランドは封建的な王をたてません。多くの貴族(シュラフタといいます)がそれぞれ主張の違いで強力な王権を確立できないまま隣のドイツ、ロシアそしてオーストリアに席巻され分割されてしまう歴史の場面を彷彿とさせます。1772年、1793年、1795年三回もです。苛酷な外国人の支配に対して反抗しては、そこから学ばないでまた「言い争う」。自己主張と協調とのバランスがとれない。その後のナチスによる電撃戦の時にも、ナチスはポーランドを蹂躙するという明確な意志でポーランド国境に六十万を超える兵力を集結していたのですが、対するポーランドは国歌「ポーランドは滅びず」を歌い兵力を分散したままプライドだけは高揚していました。一週間で敗北、その直後ソ連が侵入、蹂躙されました。しかし彼らは敗北しても力尽きませんでした。国家は敗北しても「わたしが生きるかがりポーランドは滅びず」です。世界各地にポーランド人は生きています。滅びません。

 つぎに共産主義者たちがやってきて団結はできあがっているから信仰をすてろと迫りました。自己主張とプライドを持つ人々は聞き耳をもちません。苛立った方が敗北です。困難を生きる人々は忍耐を学びます。忍耐すると必ず練達することを身につけます。かれらは滅ぼされることはありませんでした。聖書の言葉通りです。
 まだ共産党政権があった時、わたしはクラコフの駅から列車にのりますとコンパートメントの前の座席に母と少年が坐っていました。目が合いますとほほえみます。列車が「ごとん」と動き出しますと二人は同時に十字を切りました。異邦人と思しき者の目の前でマリアさまに祝福を祈ったのです。信仰をもつ人々は弾圧されていましたが信仰は滅びませんでした。いまも現役です。今回の旅で、その人々に触れることができるでしょう。

(雨貝行麿)

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