聖歌隊 「新たな歩みを始めるに際して」 本文へジャンプ

新たな歩みを始めるに際して

                   201356日(月)研修会に際して

                北海道クリスチャンセンター館長 雨貝行麿

 

音楽は 神の言葉に次ぐものとしてたたえられるべきです。

地上で 悲しんでいる人に慰めを与え、苦しんでいる人に新たな力を呼び起こし、落胆している人に新たな道を示し、高慢な人には謙虚さを思い起こさせ、激しい気性にあえいでいる人に平安を与えるからです。

 そして隣人との調和を経験させる働きと共にあればいっそう人生に不可欠です。これほど人の生涯の一瞬を新たに転換させてくれる力ある働きは他にありません。

 

北海道センター聖歌隊は、総会、研修会では礼拝をささげることとしました。

 お奨めをいたします。

従来は「クワイア」と称していました。

イギリスには「キングス カレッジ クワイア」があります。近くは「日本聖公会札幌教会聖歌隊(クワイア)」があります。それぞれが、所属して、そこで奉仕(賛美)するところを明記しているのです。それは「どこで」活躍するか、「どんな」個性をもっているか、それを明らかにしているのです。そこで従来用いていた「クワイア」という所属、性格のない名称ではないことを示すことから「北海道クリスチャンセンター聖歌隊」としたのです。

 いままで、当センターで礼拝をささげても「クワイア」の奉仕は必ずしもありませんでした。当センターに「所属」していることが明確ではなかったからです。そこで「クワイア」は外の施設、たとえば「神愛園」という高齢者介護施設での奉仕を活動の中心にしていました。

最近では、北海道クリスチャンセンターで、礼拝をささげることをその活動の基本として位置づけるようにしました。従来の「クワイア」の方々も当センターの活動をすることとして、当センターに所属することに賛同し、聖歌隊のリーダーの方々も新たな運営のために委員会を整えて、会員の方々の意見と賛同をもとめながら「北海道クリスチャンセンター」の活動のために協力することとしました。隊員とリーダーの方々はこの活動の育成のために心砕くでしょう。

そこでの礼拝にあたり「北海道クリスチャンセンター聖歌隊」の奉仕(賛美)が大切になります。当センターも、この奉仕(賛美)の活動のために心をくだいて支援することとしました。今回の研修会の案内も鈴木眞一委員長からセンター主事の手配で直ちにホームページに掲載することとしています。この聖歌隊は、一つの教会に所属しているのではないのです。一層多くの方々に門戸を開放していくからです。

北海道クリスチャンセンター聖歌隊の活動が「北海道クリスチャンセンター」の活動の重要な一環になるようにしたいと心合わせています。祈りと支援をお願いいたします。

今回、隊員募集をいたしました。あらたにこの聖歌隊に参加されるか方々がおられます。

讃美歌(日本キリスト教団)や「聖歌」「新聖歌」(日本聖公会ほか)などキリスト教の礼拝で歌う(賛美する)歌がうたわれます。確かに「信仰の表現」「神の栄光を賛美する」歌ですが、その詩(ことばとその表現)を、声をあげて読んでみてください。繰り返してください。「味わいの深い詩」でしょう。それは「ご自分の気持ち」とはそれほど距離はないと思います。むしろ日ごろ忘れていたことですがなかなかご自分にとりまして意味の深い言葉に出会いませんでしょうか。きっと「信仰あるなし」に関わりなく「自分の言葉」になるようではありませんか。

毎日の生活に追われて、「日常忘れている」大切なこと、あるいはなかなか困難なことに遭遇してあきらめるようなことがありましても、「唇に歌をもて」というではありませんか。

聖書の言葉、テサロニケの人びとへの第1の手紙に「あなたがたは神から選ばれている」(4節)として、「力と聖霊と強い確信による」としています。しかも新たな働きには、いろいろな苦難が立ちはだかることでしょうが、だからこそ聖霊による喜びをもって、「マケドニア州とアカイア州」の人びとの模範となり、あなたがたの「歌う」言葉がそれらの州、「地方全体に響き渡っている」(8節)。歌は響き渡るものですね。

北海道クリスチャンセンター聖歌隊の働きが多くの人びとを励まし、慰め、そして勇気をわかしていくことでしょう。

ここでJ・S・バッハの活動に関してお奨めします。

バッハはちょうど290年前に5月にライプツィヒの「カントール」に就任するために馬車で家族8人で到着しました。前任地ケーテンでの宮廷楽長のほうが「カントール」より身分の上では(身分社会でした)上でしたが彼はこの街の「カントール」になりました。宮廷でより「市民」のための活動をしたかったのです。「カントール」は市民の教育、当時はルター派正統主義の信仰の担い手を育成する役割をもっていたのです。聖ニコライ教会と聖トーマス教会にくわえてそのトーマス学校、そして大学のコレギウム・ムジクムの指導も課せられていました。礼拝には音楽が欠かせません。会衆の賛美歌、聖歌隊のカンタータ、洗礼式、葬儀、祝祭日、さまざまな記念式、クレンデ(こども聖歌隊による門つけ)、市民共同体(Gemeinde)の活動は同時に教会教区(Gemeinde)でした。バッハにとりましては王宮における作曲・演奏ではなくてライプツィヒでルター正統主義の信仰の担い手を育成に参与する、という気概を自覚していたのではないでしょうか。

就任にあたり市参事会(市議会にあたります)で14項目の契約をしました。市参事会の意向に従う事でした。しかし、市議会の公式の建前は「ルター派正統主義」を守ることですが実際は保守派と革新派の軋轢が陰に陽にありました。また聖職者たちにも時代の流れで「敬虔主義」と言われる内面性への傾斜がありました。作曲にあたっての聖書の選び方では聖職者たちの監督をうけなければなりません。聖パウリ大学教会の行事では大学の意向と市の意向との齟齬もありました。大学の「コレギウム・ムジクム」の演奏、また市の宗教行事での聖トーマス教会聖歌隊の指導もあります。多忙であるばかりか関係機関の了承や調整の狭間にたつこともしばしばでした。

バッハは、そこで音楽活動に対する無理解にみまわれ、見解の相違による軋轢にまきこまれ、教会教区への奉仕する純粋な気持ちを失いかけるようなことがありました。そのような時、必ず彼は教会堂のオルガンのところへ足を運んだことでしょう。

オルガンの場所に行くには教会堂にいきます。教会堂の壁に「エンポール」と表示されている狭い石段を登ります。「エンポール」それは今日では「聖歌隊席」ですが、「エンポール」この言葉の本来の意味は「より高くへ」ということです。

困難なかでバッハは1年間に60曲も作曲しているのです。彼はその晩年目を病みました。しかし、バッハは「より高みへ」と心をむけてオルガンの前に坐り、鍵盤に大きな両手をのばし、そしてペダルを踏み込んで、身を包んでくる親しみのある音色に満たされていたのです。「神のご栄光のために」(S・D・G)「主よ助けたまえ」(J・J)。この言葉は彼の座右の言葉でした。

旧約聖書哀歌3章41節「天にいます神に向かって、両手を上げ心も挙げて言おう」とあります。わたしどもはイエスさまに愛され、あがなわれて神に向かうことが赦されているのです。ローマ・カトリック教会でのミサ典礼でとりいれられた、「スルスルム コルダ!心を高く上げて」という賛美歌があります。この賛美はルター派でもまたイングランド聖公会でも伝わりました。讃美歌2篇の編集の際第1番にとりあげられ讃美歌21では第18番に「ただ主を見上げて(1節)、きよきみ名をほめつつ(3節)、わが力のかぎり(4節)こころを高くあげよう、こころを高くあげよう。」としています。

北海道クリスチャンセンター聖歌隊の方々、この時代を共に生きて、その生涯の時をともに感じながら忍耐強く、希望の笑みを交わしながら、心を高く挙げて、唇に歌をもちましょう。




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