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Logos 今月の言葉

20196月 
(前承)そもそもドイツでは、いわゆるインテリゲンチア(知識人階級)と労働者階級に分かれていました。共産主義は、その労働者階級による「階級闘争」を主張するものです。このクラスはその労働者階級の家庭から、初めてアビトァを受けられる生徒たちです。それら生徒の家庭は、10年前のナチス政権崩壊ののち権力についた生き残りで共産党の地域代表あったり、父親を戦争で亡くして新しい養父に育てられたり、また53617日の東ベルリンでの暴動に加担した父は、今は一介の肉体労働者として働き、賢い息子にその夢を託していた。
 リーダーと目される生徒が校長室に呼ばれます。校長もかつては、労働者であったが新たな職種に就くことができた、共産主義はいま未熟だけれども希望だ、と語り掛けます。
 だが、いまや、生徒たちに突き付けられているのは、首謀者を告げよ、ということ。クラスメートを突き出して、自分だけが安全な道をとることを要求された。それはできない!そうすれば東で大学受験資格をとれない。
 一人一人が悩む。友人に決意を語る者もいる。両親には言わない。かえって両親に負担をかけるから。そして一人一人が決断すること以外には方途はない。何人かが西ベルリンに脱出を決意、数人は単身の母を残すことができないから残る。
1956年、壁はまだない。しかし東から西に行くには検問がある。墓参りがある、などちょっとした用件で一時的に西ベルリンに行くという名目をつける。
 12月クリスマスが近い。検問が緩やかになる。それぞれひとりひとりが決断する。
 早朝、一人一人が、最寄りの鉄道駅に行き西への電車に乗る。
 ひとり、またひとり駅舎にきて、電車に乗る。そこにクラスメートが来合せている。
顔を合わせても沈黙、目と目はかたりあっても、知らないふりをして、早朝の電車になり合わせる。。。二度と会えない家族を思いながら、しかし自分のこれからは西にしかない。こみ上げる涙を振り切る。ひとりひとりが希望を胸に秘めながら、しかし、その希望を誰にも知られないように、胸にしまいこみ、あらたな決意とともに密やかに増幅させながら、彼らは西に向かった。「僕たちは希望という名の列車に乗った」。
 高校生たちが、権力者たちの稚拙な発言、また教育監督者の脅迫に対して動じない様子が描かれます。生徒たちは家族に支えられます。しかし社会的には孤立します。
映画製作者は語っています。新しい世代こそが、時代の展望を先取りしている、だから不安を振り切ろうとしている若い世代の新しい意志を見守る。
 後日談は、生徒の一人として体験した原作者ガルスカによる『沈黙の教室』に詳しい。当時東ドイツの地方都市までに張りめぐらされた秘密警察の記録を調査し、当事者たちの思想、行動、そして対処のしかたが明らかにされている。40年後壁がなくなってから、彼らはかつて脱出した故郷で、なかには脱出しなかった生徒も交えて、同窓会をひらく。
 未熟な生徒たち一人一人が、身の回りの友人たちに対してとった態度、仲間を裏切らない、権力によっては心を曲げることができない、そのような姿をみて、人間としての土壌を感じます。                                    雨貝行麿