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Logos 今月の言葉

2019年1月
Ys café で毎月第3火曜日の14時から「聖書の学び」をしています。今はルカ福音書を学んでいます。新年度になりますので一度初心にもどる謂いでルカ福音書の書かれて時代を大雑把に描いてみましょう。マルコ福音書やマタイ福音書とは違っている基本的な特徴に触れてみましょう。
わたしどもはルカのおかげで、初期のキリスト教の活動の様子を知ることができます。とくにイエスさまの誕生の出来事そのものをかなりの詳細を知ることができます。
「全能の神は、人類史の最大の帝国、ローマ帝国皇帝の下で、しかもそれらの皇帝をはるかに超える、もっとも小さな幼子をこの世界の主にする、という計画を始めました。」
いまやローマ帝国の全領域、とりわけ地中海沿岸の諸都市の人々にイエスさまのことが伝えられ、小さな「教会」というグループができつつあるのです。そこでは身分、性別の差がない、むしろ虐げられ、貧しい、弱い人々が互いに支えあっていきている。かれらは一定の日には集って、歌っている。
イエスさまが生まれた、という日には誰の誕生日よりも自分のこととして祝っています。
ルカ福音書には「神にはできないことはない。」初めにエリザベツ、つぎにマリア。あらたないのちは女性たちにもたらされる。
天使は夫ザカリヤに妻の妊娠を告げる。半信半疑。でもエリザベツは神に従う。子どもに名をつけるのに神に従う。世間に対して「no !」という。当時の女性の立場を考えると激しい神への従順です。天使はまたマリアに告げる。彼女は戸惑い、考え込む。しかし彼女は奴隷として従うといいます。当時はあるじ(主)のことばを従うのが奴隷でした。ですから日本語訳のように「むげに卑屈になった」いみではないのです。全能の神は、華麗で、裕福で栄光に満たされた宮殿にではなく、貧しい(羊飼い)、のけ者にされた、表立ったところではない場所を選んだ。そこに聖霊によった幼子を「そっと横たえた」。マリアは全能の神しかできないことを「自分の知識と経験を持ってしっかりと記憶して繰り返し確認している。」
ルカ福音書の書き手は、いまローマ皇帝は「平和の主」として尊崇されていますが、貧しいものを助け、弱いものに寄り添い、女性たちが実にいきいきとして活躍する教会で「主」とあがめられている方こそ真実の「平和の主」だと確信しています。
「権力あるものをその座から引きずりおろし、低い者たちを高く上げ、
飢えているものたちを、良きもので満たし、富める者たちを空手で追い払う」
全能の神にヘり下って従うことこそが、もっともふさわしいわたしどもの生き方なのだ、と語るのです。
全能の神は、ローマ帝国の、ほんの片隅の、小さな場所をようやく探して、小さな命をそっと置きました。
わたしどももまた、小さな希望を見失わないで、しっかりとした視線を持ち続けたいものです。雨貝行麿