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Logos 今月の言葉


2015年 8月 館長からのメッセージ
  
 

 

630日(火)から73日(金)34日今年の「平和ツァー」(長崎・五島列島の旅)を実施しました。11名です。案内に3年前まで長崎銀屋町教会を牧され、現在では札幌、手稲はこぶね教会・手稲富岡伝道所牧師原和人牧師にしていただきました。
 長崎は、海岸に即して細長く街並みができていますので初めに西側に開けた浦上地区に行き、そこの爆心地と長崎原爆記念館を訪ねました。
 爆心地は、いまでは大きな木々に囲まれた広場になっています。爆心地といいましても原爆はその地点の上空で炸裂(89日午前1105分)しました。人もすべてを焼き尽くし、破壊して、燃えない瓦礫を残しましたがその様子の一部分がガラス越しに提示されています。広場には女性が子を手に抱いて像が佇んでいてここが市民たちの集う場所です。
 記念館では70年前の長崎の街の様子と炸裂した原爆の模型が展示されています。大浦天主堂の西正面の煉瓦の壁と聖人たちの彫像たちが、一瞬にして破壊された姿の実物を展示しています。その一瞬の高熱が人からいのちと生活とその絆を奪っていった様を訪れた人々に語ろうとしています。一瞬をやり過ごして皮膚を焼かれたまましばらくなすすべもなく生きながら苦痛のかぎりを経験したおびただしい人々の毎日がありました。やがていのちの終わりが、苦痛から解放であったのでしょう。
 出口近く高い空間には、今日核兵器は超大国に保有されて、しかも小型化して扱いが容易くなってきている、との表示です。そして出口に向かう壁の目の高さには、原爆地に視察のために入ったアメリカ軍カメラマンによるモノクロ写真が掲げられています。はだしの少年が、死んだ弟を背中にくくりつけて荼毘にふす順番を待つ、直立不動の姿です。思わず私の中にこみ上げてくるものを禁じえませんでした。
 このオダネル氏の作品はクリスチャンセンターで数年前に展示会をしていましたから知ってはいました。しかし「知っている」ことと「現場で経験する」ことで心が悲鳴を上げることを体験することは違うのでしょう。
 そこから16世紀に起ったキリシタン殉教の記憶に誘われます。
 広い斜面に左右に広がるブロンズ像、26聖人の殉教記念碑です。
 当時はイルマンと呼ばれた修道士たちイエズス会3人フランチェスコ会7人信徒たち16人、京都、大阪で捕えられた人々、13歳の子どもも見せしめのために左耳をそぎ落とされて長崎まで引き立てられて殺害された事績です。彼らは殉教者として「聖人」として位置づけられていますから祝福された証としてそのブロンズ彫像の両足は地上に立たず、天に向かって上昇していく姿になっています。この彫像群の上部には、ラテン語で「主をほめたたえよ、汝ら異邦人よ」との言葉が彫られています。
 長崎は港湾都市で外に開かれ、海外に知られた街です。
 今もアメリカの軍艦が出入りすることがあり、その埠頭で寄港反対のために活動があります。
 重い足取りで長崎の街で起こったことどもを、わたしは確かめるように下りてきました。


                                     雨貝行麿

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