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Logos 今月の言葉

20136月 

この3月ドイツの南の都市ミュンヘンを訪れました。
 書店には最近のIT産業の旗手ジョブ氏の書物と並んでバーバラ・ボイス女史の『ゾフィ・ショル』の新刊がおかれていました。1943年2月ミュンヘン大学の学生ショル兄妹とその仲間たちが処刑されて70年でした。
 ミュンヘンの大学生たちはどんなことをしたのでしょうか。
 1941年冬学期にミュンヘンで大学生活を始めた青年たちに友情ができました。すでにヒトラーによるナチズムの支配、そして世界大戦が始められていました。しかし多くの人びとはその「支配」に身をゆだね、学生たちの多くもナチスの政策を歓迎し、自分たちの未来をかけました。
 ミュンヘンはカトリックの街、教皇庁はナチスと政策協定をむすんでいました。プロテスタントの中にはその政策に懸念を自覚し、抵抗する人々がいました。やがて自覚的に目を覚まし始めた学生たちがいました。そんな学生たちの間の友情は、急速に結束に変化していきました。
 その学生たちが今回とりあげる、ハンス・ショルたちの事跡です。彼ら、ゾフィー・ショル、アレキサンダー・シモレル、クリストフ・プロープスト、ヴィリー・グラーフたちでした。彼らの行動は『白ばら』と言われています。彼らの中核はミュンヘン大学医学生でした。ドイツがソ連と戦争を始めて翌年1942年夏、東部戦線に医療従事者として派遣され、そこで当時劣等民族とさげすまれていたロシアにむしろ奥深い文化が宿り、かえってナチスの蛮行と戦争の惨禍でドイツの青年たちの未来と「ドイツ文化」がうしなわれつつあることにいたたまれず、この戦争を一日での早く終結させなければならないと思い定めて帰国しました。その問題意識を敏感、痛切に感じとったのがゾフィーでした。彼女は共感、共同し、彼らのまわりに密かなグループができあがりました。
 彼らは複写機、用紙、郵送の切手を調達し、やや高踏的な文章を作成し、印刷そして密かに配布を始めます。ドイツ各地を移動して投函し、理解と協力と共同を図ります。
 「すべてのドイツ人に呼びかける」として言論の自由、信仰の自由、犯罪的暴力国家の恣意に対して個々の市民を守ること、これが新しいヨーロッパの基礎である。諸君、抵抗運動を支持されよ。」さらに反戦を志す多くの地下組織と連携を取ろうとしましたが困難でした。むしろ多くの人びとは文化的崩壊には気付きません。やがて同じ大学のクルト・フーバー教授の助言を受けるようになりました。
 反戦活動は、政治的手腕を必要とします。しかし彼らにはその時間的な余裕がありません。同期の学生たちは、1943年1月ミュンヘン大学470年祭でナチスの大管区長がその演説で、とくに女子学生に対して「総統(ヒトラー)のために子どもを産め」と語ったことに反対の野次では応じても「ナチス反対」には至ることがありませんでした。また、ときあたかも不敗のドイツ軍がスターリングラードで降伏の報が明らかにされてもまだ反戦には至りません。
 彼らは反戦、平和のために、ついにはミュンヘン市内目抜き通りの建物の数か所の壁に「ヒトラー打倒、自由」とをペンキで大書しました。(この項次回につづきます)
                                          
雨貝行麿

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