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Logos 今月の言葉

2013月 
 バッハ研究者小林義武氏の訃報に接しました(1942201370歳)。小林氏は世界的に著名なバッハ研究者としてつとに知られています。ドイツのバッハ研究所からもどられてから日本語で優れた著作を公刊96年『バッハ、伝承の謎を追う』は辻荘一・三浦アンナ記念学術奨励賞、2006年『バッハとの対話』は芸術選奨文部科学大臣賞を受賞されました。

氏は60年代に西ドイツ(当時)ゲッチンゲンの「J・S・バッハ研究所」においてA・デュル教授のもとで研鑽をつまれました。当時はバッハ研究所が東西ドイツにわかれて、ゲッチンゲンとライプツィヒにあり、またバッハの自筆譜はベルリンなどに東側に保管されていました。東側におけるバッハ資料、バッハ自筆の原稿の調査・研究は困難でした。当時東側では前世紀以前の文化財は門外不出でしたし、コピー機には不自由でした。ましてバッハの自筆原稿は世界遺産そのものです。道を拓きながら、それらに手を触れ、楽曲の検討、たとえばバッハ自身の筆圧、文字のはね方、癖、また使用されているインク、紙、その透かし模様の状況等X線を用いての調査、カメラ撮影をしての同時代の類書と比較検討、調査するという実証的な研究をされていました。

バッハがその晩年に『ロ短調ミサ』BWV232を作曲しましたが、小林氏は、バッハがドイツ・ルター派の信条に生きてこそ、またローマ・カトリック教会のミサ曲に規範を学びつつ、独自の形式をさぐりつつ作曲をしていること、そのことはバッハが当時のザクセン王国の宮廷音楽家になるための就職運動の一環であるとか、ザクセン王がポーランド王位を継承したからという政治的便宜をうけとめたからではなくて、当時バッハが長年ライプツィヒの聖トーマス教会カントールとしての職責で作曲していた実績を踏まえたうえで新たな教会音楽の形式へ到達しようとした意欲があらわれていることをその作曲技法を検討して結論しています。それはまさしくプロテスタントの「礼拝」とカトリックの「ミサ」とは基本的に「神の前の告白・賛美」であることから今日でいう「エキュメニカル」な視点を先取りしているということを小林氏は主張したのです。わたしはただの実証的研究にとどまらず、今日のキリスト教の歴史的現実を克服すべきこととして時代への洞察を抱いておられるように感じたのです。この論考はしかし90年代の日本のプロテスタントからは十分にうけとられることはありませんでした。しかし、氏のバッハ研究は『新バッハ全集』に結実に貢献しました。

かって70年から80年代にバッハ生誕300年を記念した研究状況とは一段と発展したバッハ研究を日本にもたらすことを自任されて東西ドイツ再統一のためにバッハ研究所の統合を期に1991年帰国され、同志社女子大学から成城大学にかわられ、バッハ音楽の啓発活動、講演をされて多くの人々を感化し、魅了しておられました。

ご夫人のキルステン・バイスヴェンガ―さんとバッハに関する著作もだされました。

かって、わたしは、小林氏をゲッチンゲンのご自宅にお訪ねしました際、氏は、白い木で自作されたチェンバロを示され、製作中の苦心を語られ、その完成をたのしみだと笑顔をつくられておられました。緻密で手先の器用な方でした。

324日記念会をされました。哀惜いたします。ご家族の平安を祈ります。 

                                               雨貝行麿

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